文殊山のご神木と歴史



   我が故郷の山、文殊山です。 私はこの麓近くの集落に生まれました。
   幼い頃から、文殊山を遊び場として育ち、自然に親しんできました。
   春は山菜取り、夏は蝉取り、秋は栗拾い、冬は探検・・・。
   
   昔は結構山に入る人も多く、山仕事用の道ができていました。
   しかし最近では山に入る人も少なくなり、倒木が道をふさぎ、消えてしまった
   道もあります。
   
   山登りの足慣らしとして、時々利用していた関係も有り、「文殊会」
   という集まりに参加し、登山道整備やイベントのお手伝いをしています。
   それがきっかけで「福井きのこ会」にも入会しました。
   また、藪に覆われてしまった昔の道を、3年越しで切り開いたりもしました。
   
   365mと大した高さではありませんが、これからも故郷の山として大切に
   付き合いたいと思っている次第です。



   ところで、2004年秋に大型の台風が福井県地方を襲い、山頂にあった「ご神木」
   の大杉の他、多数の樹木が倒壊してしまいました。
   倒壊した木が地蔵様の祠に倒れ掛かり、祠が全壊、その他にも大きな被害があり
   文殊会の他、大勢の有志が復旧に参加し、現在は整備が進んでいます。
   
   ご神木の大杉は、登山道をふさぐように倒れたため、数箇所を切断した上で
   登山道脇に移動させました。
   後日、文殊山に登った際、根っこ部分の切断面を見ると、年輪が結構綺麗に
   見えているので、デジカメで写真を撮り年輪を数えてみることにしました。
   数えてみると約300年の歴史が刻まれており、年表で300年前を調べると、
   赤穂浪士の討ち入りの頃になります。
   
   大杉は重すぎて搬出が不可能で、このまま朽ち果てるのを待つだけとの事です。
   そこで大杉の年輪と、主に福井の歴史を対比した表を作成してみました。

   文殊山に登った際は、頂上近くにある大杉の年輪を観察し、福井の歴史を
                                     紐解いて見るのも面白いでしょう。

                                     ただし、切り株のある場所は足場が悪いので充分注意して観察して下さい。
                                     下の年表については「福井県文書館」「福井県史年表」を引用しています。

1999 平成11 文殊山俳句賞創設
1998 平成10 文殊山「おそ桜」植樹、「児の火」再現
1995 平成7 阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件
1995 平成7 サンドーム開館
1994 平成6 文殊山再興着手
1993 平成5 この年冷夏で米が大凶作
1992 平成4 ソ連崩壊、独立国家共同体成立
1991 平成3 湾岸戦争が始まる
1989 平成1 美山森林温泉「みらくる亭」「リズムの森」開業)
1988 昭和63 青函トンネル開通
1981 昭和56 県内各地で大雪(五六豪雪)
1980 昭和55 8月にかけて記録的な低温
1978 昭和53 福井商業野球部、春の選抜高校野球大会で準優勝
1977 昭和52 文殊山に遊歩道完成、『日刊福井』創刊
1976 昭和51 「アゼリヤ」、鯖江市三六町に開業
1975 昭和50 北陸電力福井火力発電1号の排煙脱硫装置完成
1974 昭和49 国鉄湖西線開通
1973 昭和48 オイルショック、北陸電力福井火力発電所、営業運転開始
1972 昭和47 沖縄が本土復帰、北陸トンネル列車火災事故、死者30人
1970 昭和45 日本万国博覧会EXPO70開催(〜9/13)
1969 昭和44 福井テレビジョン放送、営業放送を開始
1967 昭和42 繊協ビル、福井市に完成
1966 昭和41 福井空港、春江町に開港
1965 昭和40 福井実業高校、福井高校と改称
1964 昭和39 東海道新幹線開業、オリンピック東京大会開催
1963 昭和38 北陸地方に大雪(三八豪雪)
1957 昭和32 北陸トンネルの建設工事着工(〜1962/6)
1949 昭和24 単一公定為替平価1ドル=360円実施
1948 昭和23 午後4時13分ころ福井地震発生
1945 昭和20 東海地方で大地震、8/6広島に原爆投下、8/9長崎に原子爆弾投下、8/15終戦
1941 昭和16 12/8ハワイの真珠湾を空襲、米英に宣戦を布告
1939 昭和14 楞厳寺・無住職時代に終止符
1934 昭和9 「丸岡城天守」、国宝に指定(現重文)
1933 昭和8 "九十九橋(福井市)竣工,福井放送局(JOFG)開局"
1929 昭和4 鯖浦電鉄、北陸線鯖江駅に接続
1923 大正12 旧楞厳寺境内の観音堂を現楞厳寺に移築、関東大地震
1914 大正3 ドイツに宣戦布告、第1次世界大戦に参戦
1913 大正2 北陸線米原・直江津間が全通
1910 明治43 第6潜水艇長佐久間勉ら15名演習中殉職
1909 明治42 奥の院お堂焼失
1906 明治39 福井市の足羽川堤防に桜・楓1000本を植樹
1905 明治38 麻生津村の増永五左衛門、眼鏡枠製造業を始める
1904 明治37 ロシアに宣戦布告(日露戦争)
1897 明治30 北陸線福井・小松間開通
1889 明治22 大日本帝国憲法発布
1885 明治18 米価が高騰(1俵2円70銭)
1881 明治14 立石岬灯台点火
1880 明治13 北陸線敦賀・長浜間の敷設工事が始まる
1878 明治11 明治天皇巡幸(〜10/10)
1876 明治9 敦賀県廃止・嶺北が石川県に、嶺南が滋賀県に分属
1870 明治3 楞厳寺・成就院(下の坊)焼失
1869 明治2 藩籍奉還、スエズ運河完成
1867 慶応3 坂本竜馬、福井城下を訪れる
1864 元治1 福井藩、黒龍丸を幕府に4万5000両で売却
1863 文久3 福井藩、米国から木製蒸気商船(黒龍丸)を購入、リンカーンが奴隷解放宣言
1862 文久2 福井城下に幸橋がかけられ、繰船廃止
1860 万延1 井伊直弼、桜田門外で暗殺される
1859 安政6 「ころり」と呼ばれたコレラが大流行
1858 安政5 井伊直弼、大老に就任 慶永、春嶽と号す
1856 安政3 大野藩、箱館弁天町に大野屋を設置
1855 安政2 江戸大地震
1854 安政1 大地震、越前・若狭に被害(翌5日にも)
1853 嘉永6 ペリー浦賀に来航、クリミア戦争
1852 嘉永5 橋本左内、家督を相続し御外科となる
1849 嘉永2 笠原良策、福井に痘苗を伝える
1844 弘化1 福井藩、海岸絵図を幕府に提出
1841 天保12 老中水野忠邦、天保の改革を開始
1840 天保11 敦賀町の人口、8952人
1837 天保8 大塩平八郎の乱
1834 天保5 橋本左内、生まれる
1832 天保3 天保の大飢饉、小浜にペルシャから駱駝(ラクダ)が来る
1826 文政9 松平斉承、福井藩を継ぐ
1822 文政5 この年小浜藩領内の人口10万5030人、大野藩領内の人口2万6977人、勝山藩領内の人口1万1051人
1817 文化14 杉田玄白、死去
1810 文化7 福井藩の医学所の本館完成、薬園も作られる
1808 文化5 幕府、間宮林蔵に樺太を探険させる
1806 文化3 忠敬、三方郡の測量を終え敦賀に到着
1799 寛政11 福井藩、塩を専売制とする
1797 寛政9 この年吉崎御坊の本願寺派別院本堂再建
1796 寛政8 ナポレオンのイタリア遠征
1793 寛政5 南条郡瀬戸村の枝村の木地師、本村から木地挽を許される
1792 寛政4 福井町の人口、1万8795人
1789 寛政1 大野藩、松田ら3人に700両の元利を返し、11日に1300両の調達を言い渡す
1786 天明6 間部詮、鯖江藩を継ぐ
1784 天明4 小浜の米価、1俵あたり銀42匁にまで高騰
1783 天明3 浅間山大噴火
1780 安永9 福井藩、領内の人口14万4402人を幕府に届ける
1775 安永4 アメリカ独立戦争勃発
1774 安永3 杉田玄白が「解体新書」を刊行、仏 ルイ十六世即位
1772 安永1 有馬誉純、4歳で丸岡藩を継ぐ
1768 明和5 福井藩、升改めを行う
1766 明和3 大野藩、町医師の帯刀を禁止
1765 明和2 ワットが蒸気機関の改良に成功
1758 宝暦8 鯖江藩領内の人口2万6094人
1756 宝暦6 福井藩、幕府に領内の人口14万8498人を届ける
1754 宝暦4 鯖江藩領一帯で粉糠虫や猪鹿の被害がでる
1752 宝暦2 この夏小浜で疱瘡が流行
1750 寛延3 幕府、銅座を廃止
1747 延享4 この年吉崎御坊の大谷派別院本堂再建
1741 寛保1 小浜で箒星出現
1739 元文4 元松岡藩家中の福井への引越しが完了
1733 享保18 杉田玄白、江戸に生まれる、ベーリングがカムチャッカ探検
1732 享保17 "享保の大飢饉,北米 十三植民地の成立"
1729 享保14 鯖江町の家数、123軒
1721 享保6 目安箱の設置、間部氏、鯖江領の受取りを終える
1716 享保1 福井家老・狛伊勢守澄孝ら楞厳寺へ大般若経六百巻寄進、享保の改革
1713 正徳3 松平吉邦・文殊山参詣
1712 正徳2 幕府、公領へ巡見使を派遣
1709 宝永6 生類憐れみの令を廃止、新井白石が幕臣に登用される
1708 宝永5 小浜町で晦日までに5尺余の雪が積もる
1707 宝永4 富士山噴火、宝永山できる
1704 宝永1 福井藩、江戸城の石垣普請を命じられる
1702 元禄15 赤穂浪士の討ち入り
1701 元禄14 福井藩、国絵図を幕府に提出