+++ある、ある+++


下の題名をクリックしてください

第一話    カモメ救出大作戦!

第二話    もーかっちん、もーかっちん

第三話    パソコンの電源が・・・・

第四話    山での遭難後始末記その1

第五話    山での遭難後始末記その2

第六話    山での遭難後始末記その3

第七話    山での遭難後始末記その4

第八話    山での遭難後始末記その5

第九話    山での遭難後始末記その6

第十話    電波時計

第十一話    一アマ受験談

第十二話    TVアンテナ修理奮闘記

第十三話    デジカメ修理奮闘記

第十四話    スイスのロビンソン

第十五話    パソコンの修理

第十六話    秋の蛍・・・土蛍


第一話      カモメ救出大作戦!

ある日ある時、いつもの場所へ釣りに出かけました。
その日は波があり、防波堤の先端は波が上がる状態です。
こんな日のポイント、防波堤付け根へ釣り座を決め釣り始めました。

しかし、期待に反してなかなか当たりがありません。
ぼーっと海面を眺めていると、海面に浮かぶごみの中に動くものを見つけました。
よく見るとカモメです。

まだ若い鳥で羽に茶色のまだらが残っています。
しかし、半分沈みかけていて、間違いなくおぼれています。
ごみは海面を回るように漂っており、そのうちに近くまで来そうです。

しばらく待つと予想通り、近くへ流れ寄って来ました。
早速タモを伸ばして、救出作戦開始です。
疲れきっているのか、カモメはタモを伸ばしても逃げようとしません。
しかし、ごみがじゃまでカモメがタモになかなか入りません。

ごみを少しずつ退けて、タモが入る隙間を作る事にしました。
作戦成功!タモに無事カモメが納まり、救出する事が出来ました。
風陰になる場所へそっと置き、オキアミを少し分けてやりました。

数日後また同じ場所へ釣りに行きました。
その日は波は穏やかで、防波堤の上にはカモメがいっぱいいました。
先端の方へ歩いていくと、一斉にカモメが飛び立ちます。
先端に釣り座を決め、釣り始めました。

しばらくして一羽のカモメが目とまりました。
防波堤に降り立つと、こちらをうかがうように近づいてきます。
羽に茶色のまだらがあります。 きっと先日助けたカモメに違いありません。
「よかったなー、元気になったか」と声をかけ、オキアミを投げてやりました。
しばらくオキアミをついばんでいましたが、気が付くともういませんでした。

戻る



第二話      もーかっちん、もーかっちん

ある日ある時、子供がまだ幼稚園に通っていた頃、
下の子(娘)を連れて釣りに行きました。
いつもの釣り場ですが、あいにく何もつれません。

暇なので防波堤のきわを覗いていたら、なんと!
大きなサザエがあるではないですか。 早速タモですくい上げ、ゲット!

あまりに釣れないので帰ることにしました。
とぼとぼと防波堤を歩いていると、またまた見つけました!
今度はイカ!
防波堤の真中に落ちていました。
近くに網揚げ場がありますが、周りには誰もいません。

まだ生きていて、表面がチカチカしていました。
子供と、漁師さんが落としたのか、トンビが落としたか
と真剣に議論しましたが、トンビが落とした事に決着。

二人で「もーかっちん、もーかっちん」 (儲かった、儲かった・・・の意味)
と大きな声で言いながら、意気揚揚と引き上げました。

帰ってから早速お母さんに料理してもらい、
美味しい、美味しいと食べてしまいましたとさ。

その日の晩、子供が絵日記に今日の事を書いたようです。
次の日、幼稚園から帰ってくるなり「今日は大変恥ずかしかった」というのです。

あまりに絵日記が面白かったので、先生が皆に読んで聞かせたらしいのです。
恥ずかしいといいながらも、ちょっと得意げでしたが。

その後幼稚園で「もーかっちん、もーかっちん」の言葉が
しばらく流行したとか、しないとか・・・・・。

戻る

 


第三話      パソコンの電源が・・・・

ある日ある時、(つい先日ですが)パソコンの電源が死にました。
なんの前ぶれも無く突然にです。 パソコンのスイッチを入れても
ウンともスンとも言わなくなってしまいました。

まずはパソコンのカバーを開け、何とか蘇生させようとショック療法を
試みたのですが、効果がありませんでした。
また、焦げている部品はないか、接触不良はないかと、
すみからすみまで目と、鼻と耳で診察しましたが異常なし。

この時点で即あきらめてパソコンショップへ直行。
パソコンショップでは電源を交換し、コンピューターが起動するかどうかチェック。
なるほど予備電源があると便利だわいと感心。
ところが・・・あれ?動かない「これはメインボードが死んでますね」
次いで、はずした電源を別のパソコンに接続してまたチェック。
またまた、あれ?動かない「電源も死んでますね」

え!・・・そんな!。

仕方なく財布の中身と相談しながら、ショーケースの中のメインボードを物色。
その時、店員さんが「ショーケースの電気が点いていない、おかしいな?」
とのたまわったのです。

ショーケースの電源をたどると、作業台のコンセントに延びています。
コンセントはスイッチ付きのもの、そのスイッチのところに
先ほどはずしたケースが乗っているではないですか。

そうなんです、ケースの重みでスイッチが切れ、そのコンセントに
パソコンがつながっていたのです。
動いていたもう1台のパソコンは、別のコンセントから電気を取っていました。

危うくセレロンがペンスリーに変身してしまうところでした。
というわけで再度調べたら、電源だけの故障。
結局大枚6kを払って電源を交換しました。

ペンスリーが良かったなー・・・・しかし
6k出せば安い電源つきケースが買えたかなー?
と貧乏性ののむさんでした。

戻る


第四話 山での遭難後始末記その1

やせ尾根を100mほど下ったところで、通り道の真中に
岩が30cm程突き出ているのが目に入る。
左足でよっこいしょと体を持ち上げ、右足でポンと着地。
その瞬間「パキッ!」という音、前につんのめり右足に激痛!
前方を歩いていたお母さんに「怪我、骨折!」と叫び呼び戻す。
パンフレットで唐松山荘の電話番号を調べ、連絡を取るが繋がらない。
登ってこられた人で携帯を持っている方がいたので
唐松岳山荘へ連絡を入れていただく。

出血がありタオルでひざの関節の上を締め、立ちひざの姿勢で待機。
10分も経っただろうか、山岳救助隊の方が二人駆け付けてこられ応急処置。
一人の方は通信担当で山小屋、県警と連絡をとっている様子。
救護の方はズボンを切り裂き、傷口の確認、消毒。
「抗生物質に対する過敏症は?」・・・「ありません」。
「痛い!」と悲鳴を上げると、「痛いでしょう良くわかります、
私も足を折った経験があり足に金属棒が入っています」とおっしゃる。
泣き言も何のその、右足の骨折部分に添え木を当て、
情け容赦無く包帯でぐるぐる巻き。

その間も通信担当の方と搬出方法、ヘリの手配等を打ち合わせ。
「民間のヘリでも良いですか?約100万かかりますが」・・・
「いいです、お願いします」とお母さん
遭難場所から上にあるヘリポートまで担ぎ上げ、
そこからヘリで下界へ搬送と決まる。

背負子に背負われて100m程登るとすぐそこがヘリポート。
ヘリが来るまで待機する。 しかし私を下ろす場所が無く、
下ろすにしても激痛が予想されるとの事で背負ったままの待機。 
ただただ救助隊の方には頭の下がる思い。

14:30 待つこと30分程、パラパラパラとヘリの上がってくる音が聞こえる。
ヘリは民間でなく県警のヘリとの事。
救助隊の方が「県警のヘリで良かったですね」と言って下さる。
県警のヘリの場合は費用負担が無いとの事。 「良かったー」。

しかし辺りは一面雲の中で真っ白。
頭上まで来ているのが音で分かるがヘリの姿は見えない。
交信でも着地点が見えないのでこのまま旋回し待機するとの事。
一瞬雲が切れヘリが見えた! しかしすぐ窓が閉じてしまった。
数分頭上を回っていたが、雲が切れず下へ降りて待機との交信。
次第にヘリの音が遠ざかる。 次は何時になるのかと不安になる。

戻る


第五話 山での遭難後始末記その2

ヘリの音が遠ざかってしばらくして、富山側から雲が切れる様子。
今度の切れ間は大きそう。 山岳救助隊員の方の「まだヘリは着地していないかもしれない、
エンジンを切っていなければすぐ飛べる、今がチャンス!」との会話。
通信担当の方がヘリを呼ぶ「雲が切れます、いけると思いますが 再トライできますか?」
「了解、そちらへ向かう」。  10分ほどで再度力強いヘリの音が聞こえてきた。
「富山側が開いているのでそちらへ回ってください」・・・「了解」
「二人の搬送可能ですか?」・・・「一人だけです」。
一人しか乗れないのでお母さんは唐松山荘へ一泊し、翌日 下山となる。
 慌ててお母さんにお金を渡す。

富山側から大回りでヘリの進入が見える。
山岳救助隊の方がパイロットの方に搭乗人数を再交渉して下さる。
すごい風で石ころが飛んでくる。 一気にヘリポートに着陸。
私を背負った隊員の方がヘリに駆け寄り一気に私をシートに押し込む。
「二人OKです」。
私が押し込まれると同時に、お母さんもリュックを持って飛び乗る。
痛いの何のって言っている間もなくすぐに離陸。
もたもたしていると窓が閉じてしまう。
初めてヘリに乗ったが結構振動、揺れがある。
右足をかばいながら、前の座席にほうり込まれたリュックを左足で 支える。
 リュックが落ちると右足の上。
ヘリにはパイロットと機関士の他に、吊り上げ担当と思われる方が 乗っておられた。

バラバラバラ・・・周りの景色を眺めると八方尾根から右のほうへ 飛行して行くが行き先は不明。
10分程で河川敷のヘリポートへ着陸。 救急車が待機している。
ストレッチャーに移され、ヘリから救急車まで搬送されるが、路面からの振動で激痛が走る。
搬送先の病院を当っている間に、警察の方が乗り込んでこられ事情聴取。
池田町の「安曇総合病院」へ搬送と決まり、救急車が走り出す。
病院までの間、救急車の方が今何処を走っているのか、
右カーブ、左カーブ等走行状況を細かく説明してくださる。
「この先を右に曲がると病院です」・・・「はい病院に入りました」。

戻る

 


第六話 山での遭難後始末記その3

救急車が止まると待機していた病院の方の案内で診察室へ直行。
担当は若い女の先生。
ここで応急処置の包帯、ズボン、パンツ、靴下等を鋏で切り取られ、下半身素っ裸にされる。
右足を持ち上げての作業だが足がねじれるたびに激痛!
上も脱ぎ寝巻きに着替える。 次はレントゲン撮影。
上からと側面からの撮影だが、足が捩れ何度悲鳴を上げた事か。

開放性骨折のため下半身麻酔で骨折部を消毒し、その後一旦縫合することになる。
下半身麻酔のため、おち*ちんの先から管を挿入される。
「痛テテテテ!」。 初めての感触、力が抜ける。
看護婦さんに「おしっこがしたくなったらどうするんですか?」って聞いたら、
「問題無いですよ」・・・・・・何が問題無いのやら。
いよいよ手術室へ、看護婦さんから「緊張しますか」と聞かれ武者震いがする。 
お母さんは専用の待合室で待機。

手術室入り口でストレッチャーから手術用のベットに移動。
体の下にロール状のシートが潜り込んで来てストレッチヤーが外される。
例の、蜂の巣状の照明の下へ運ばれる。
背骨へ麻酔の注射を打たれたが思ったより痛みは少ない。
しばらくすると下半身が温かくなってきて感覚が無くなる。
右足のほうでガサゴソと消毒が開始される。
手術の痛みは全く無いが、表面に触れると軽いピリピリ感がある。
間を置いて10分ほどの消毒を2回。 その後縫合し40分ほどで手術は終わった。

ストレッチャーに乗り換え病室へ移動。 外は日も傾いており17時頃か。
病室は個室で4畳半ほどの広さ。
付き添いのため、お母さんの簡易ベットをお願いしやっと落ち付く。
病室へ落ち着いたものの、下半身が麻痺し全く感覚が無い。
お尻の穴に力を入れようとするが、全く力が入らず変な感じ。

民宿の「かねちょう」さんへ電話を入れ事情を話したところ、
病院 まで車を運んでくださるとの事。
ありがたくお願いする。 「またスキーの時にでも利用してください」
とおっしゃられて戻って行かれた。
18:00会社関係へ連絡を取るがお盆休みのため誰も出ない。
やっと**部長に連絡が付き事情を伝える。

警察より電話があり、明日「大町警察署へ出頭してほしいとの事。
お母さんに行ってもらうことにする。 横浜の祐宗君に電話を入れ事情を説明。
お盆休みで17日に帰福予定だったが1日繰り上げ、明日長野へ来てくれるとの事。
23時頃に麻酔が切れ始め徐々に痛みが襲ってくる。
たまらず看護婦さんを呼び、痛み止めの座薬を入れてもらう。

戻る

 


第七話 山での遭難後始末記その4

4:00 ウトウトするが2時間置きに目が覚める。 何回目かでやっと外が薄明るくなってきた。
まだ強い痛みがあり看護婦さんに再度痛み止めをお願いする。
しかし前回使ってから時間が経っていないので「だめ」との返事。
8時間経たないとだめらしい。 あきらめてガマン、しかし痛い。
9時頃に痛み止めの座薬を入れてもらいちょっと楽になる。

9:30 お母さんが大町警察署へ事情徴集のため出かけ、1時間ほどで戻ってくる。
昨日と同じようなことを聞かれたとの事。
またヘリ、救急車の出動費用負担は無いとの事。
しかし唐松岳山荘から出動した山岳救助隊の方は民間の方なので、
後日応急処置代、出動費用等で数万円の費用請求があるだろうとの事。
また民間のヘリなら100万円ほど掛かるところ、
「たまたま県警のヘリが空いていて良かったですね、
ヘリの担当の方にはお礼状を出してください」との事であった。
またその時不帰の嶮で滑落事故の一報が入っており、あわただしかったとの事。
私と同じ日に腕を骨折され遭難した女性の方もあったらしい。

回診の時先生から、この病院で接骨の手術をするか、
地元でするかの問い合わせがある。
手術後の事を考えると地元のほうが良いですよ、
とのアドバイスも あり地元での手術にする。
早速地元の行き付けの厚生病院へ電話を入れ受け入れの確認、了解を得る。

14:00 昼過ぎに祐宗君到着。
明日福井へ転院の予定を話し荷物の整理、車の準備をしてもらう。
お母さんを温泉へ連れていってもらい食事、買出しを頼む。 やっぱり男の子は頼れる。

17:00 夕方から右足の踵がキリキリと痛くなってくる。
踵が添え板に圧迫され続けためだと思う。
夕方の先生の回診で、添え板の曲がりを調整してもらうが痛みが取れない。
傷口の痛みよりもよっぽど痛い。
夜中にお母さん、祐宗君に何度もマッサージをしてもらう。
痛みのため2時間置きに目が覚めたが、明け方になってようやく痛みが収まる。

 

戻る

 


第八話      山での遭難後始末記その5

いよいよ転院の朝。 朝食に「退院おめでとう」のメッセージと、尾頭付きの海老が出た。
8:30 会社へ連絡を入れ怪我の事、厚生病院へ転院の事、
長期入院になる事を伝え関係者への連絡もお願いする。

9時30分朝の回診。 移動のためギブスをはめるとの事。
傷口の消毒の後5人掛りで作業。
当て板をはずし、足を宙ぶらりんで保持してギブス用の包帯を巻く。
足が捩れるたび激痛が走り悲鳴を上げる。

ギブスを巻き終わると、今度は裏表に切り離しモナカのように上下に切り離す作業。
超音波切断機でちょっとだけ先生が切り、後は看護婦さんが作業。
看護婦さんが作業に慣れていない事もあり、
足まで切るのでは ないかとどきどき。
途中、切っているところが急に熱くなり切断機を蹴っ飛ばす。
看護婦さんも当の本人もびっくり。
その後の看護婦さんの慎重な事、そうこうしている内に切断完了。

裏表を切り離した上から包帯を巻き付けて作業終了。
おしっこの管と袋はそのまま携え移動することになる。
出発する時、途中での痛み止めということで座薬を1個頂く。
入院費用はFAXで保険証を確認後、請求書を郵送するので
銀行へ振込んで下さいとの事。

寝巻きから短パンとシャツに着替え、ベットからストレッチャーに乗り換えて
玄関へ移動。 後のドアから車に乗り込む。
この時ばかりはロングのパジェロで良かったと思った。
10時50分に安曇総合病院を出発。
安曇野、白馬、糸魚川、富山、金沢、福井北インターと順調に走行し
15時50分に厚生病院へ到着。 入院した部屋は3階の705号室。

 

戻る

 


第九話      山での遭難後始末記その6

 

*月*日 血液検査の結果、CRP値(炎症反応)が1.2で正常な人の上限の1.5倍との事。
接骨の手術は順調に行って*月*日頃、退院は*月末頃の予定。
車椅子が解禁になりちょっとだけ自由になる。 これでやっとタバコが吸える。

*月*日 同じ階の713号室へ移動。 部屋にトイレがない分広く、エアコンも効き快適。
婦長さんの許可を取り、病室へデスクトップパソコンを持ち込む。
専用電話があるのでインターネットもOK。 電気代として100円/日

*月*日 血液検査の結果、CRP値(炎症反応)は0.7で正常値の上限。
明日から点滴が飲み薬に変わる。 接骨の手術は*月*日と決定。

*月*日 痛みは軽くなったが足の圧迫感が強いので、
モナカギブスの 上半分を外してもらう。

*月*日 右足と左足のレントゲン撮影。
手術の時に左右対比して長さを合せるためらしい。
(本当は骨の中に入れる金具の曲がりを合わせる為でした)

*月*日 傷口の抜糸。
一時帰宅し18日ぶりのシャワー、さっぱりして気持ち良い。

*月*日 血液検査の結果、CRP値(炎症反応)は0.2で正常値に戻る。

後書き

今回の遭難でお世話になりました長野県警(特に地域課)、
山岳救助隊、民宿「かねちょう」、安曇総合病院の皆さんに厚くお礼申し上げます。
またこれを見ていただく方の今後の山登りの参考にしていただければと思います。
つたない文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

戻る

 


第十話      電波時計

 

電波時計」・・・・なんて懐かしい響きなんでしょう。
水晶時計」という言い方をした時計は今や「クオーツ」です。
しかし小学生の頃聞いた「電波時計」は今も「電波時計」なんですね。
中身は真空管からICへと変わりましたが・・・・。
あの頃「電波時計」は天文台にあるものと相場が決まっていました。
その「電波時計」を手に入れた事から話は始まります。

すぐに終わるのですが・・・・。

*月*日 近所のホームセンターで「電波時計」を発見!
憧れの「電波時計」がなんと、2980円で売られているではありませんか。
広い店内のそこのコーナー辺りはほとんど用事がないので
今まで気付かなかったのでした。

のむさんは時々無線で海外とも交信するものですから、
時間にはちょいとうるさいのです。  直ちに購入決定!!
「これで正確なグリニッジ標準時を表示できる」と意気揚揚と帰ってきました。
 もちろん24時間表示のできるのを選んだ事は言うまでもありません。

夕食前、食事中もかみさんの小言も上の空。
難解な説明書を何回も読み返し、やっとの事で日本時間から9時間遅れの
グリニッジ標準時」に時計を合わせる事ができました。
説明書によれば、通常は夜中に1回電波を受信し時間を合わせるが、
初めて使用するときは1時間に1回時間を合わせるとの事。
なんて親切な時計なんだ!・・・と涙が出そうでした。

かみさんの小言を聞きながらの食事も終わり、もうすぐ1時間経過。
のむさんはタバコをゆっくりくゆらせながら「電波時計」の文字盤を満足そうに眺めていました。
と、そのとき表示が変わりました。

時計が表示したのは正確な「グリニッジ標準時」ではなく
正確な「日本時間」でした。

数日後・・・・のむさんのデスクに真新しい普通のデジタル時計が置かれていました。
「ミスド」の景品でもらった今までのアナログクオーツ時計に並んで・・・・。

戻る


第十一話      1アマ受験談

 

リストラ記念に第1級アマチュア無線技士を受験、その体験談です

昨年11月に退職、一気奮発して念願の1アマに今春挑戦し合格しました。
以前は和文があったので敬遠していたのですが、欧文だけになったのと
リストラのおかげでやる気になりました。

受験勉強は受験日2週間前に買った「これ一冊で必ず合格」がうたい文句の
受験本を徹底的に読み、練習問題を解くことでした。
一日8時間の特訓のおかげで全項目が何とか解けるようになりました。
しかし受験の二日ほど前に気が付いたのですが、この本は類似問題を集めて
一項目の練習問題としてあるので、最初の数例の問題が解けるとその項目の
後の問題も大体解けるようになってしまうのです。

つまり解らない問題の場合に本文を参照するので、
その後の問題が解き易くなってしまうんですね。
その事に気が付き慌てて年度別問題集を入手、
年度順に解くという方法で勉強の総仕上げをしました。
類似問題を次々と解く場合はこんな錯覚に注意です。

CWは「CWトレーナー」だったかな?のフリーソフトで毎朝1時間練習しました。
大学1年のとき2アマに合格し、CWの経験も数年あったのですがやってみると
難しい、長い符号は良いのですがEとかI、Tとかが重なると書く手が追いつきません。
やっぱり頭で理解しても手が動かない・・・・年のせい?
いや、私の場合大文字で書くので字の画数が多くてついていけないのです。
やっぱり小文字の筆記体での書き取りが有利ですね。

試験終了後の自己採点で工学、法規は自信があったのですが通信術だけは
ぎりぎりかな?ひょっともするとアウトかなと不安いっぱい。
でも合格通知を受け取ったときは久々に感激!!を味わいました。

私のこんなドジ話が参考になれば幸いです。
これから1アマに挑戦される皆さんのご健闘をお祈り致します。

戻る


第十二話      TVアンテナ修理奮闘記

 

TVアンテナ修理の失敗談です

最近我が家のTVの映りが悪いので、
思い切ってアンテナを直すことにしました。
新品のアンテナにしたのですがかえって悪くなってしまい
自称無線マンの信用がガタ落ちです。

元々電波状況は良くないので、今回は90度違った方向の
サテライト局を受信する事にしました。
すぐそこだからと今までとは素子数の少ないアンテナ
を買ってきて取り付けたのが失敗の元。
アンテナの向き、高さを変えてもジャミジャミです。
(ジャミジャミ・・・福井では映りの悪い状態を指す)

元々付いていたアンテナは錆びていた事もあり
はずす時にブームが折れ、廃棄処分行き。
元に戻す事もできず最悪です。
取りあえずはケーブルを新品に取り替え、
わずかに映りが良くなったのでごまかしています。

最近オークションで手頃なブースターを見つけました
送料込みでも2000円以下とチョー特価品。
これで信用が回復できれば安いもの。 Y(^;^)Y
結果の程は?

結果報告・・・バッチリ!!!でした。

戻る


第十三話      デジカメCOOLPIX950修理奮闘記

 

デジカメCOOLPIX950修理成功談

数ヶ月前、COOLPIX950を手に入れました。
COOLPIXシリーズは910から始まってこれで3台目です。
レンズ部分が回転するので、自由なアングル設定が魅力。
しかも950はシリーズの中で単V電池が使える最終モデル。

今までの2台は荒っぽい?使い方のためご早々にご臨終。
いずれもレンズユニットの故障でした。
修理代が2万円以上と聞いて直す気も起こりません。

今度こそはと手に入れた950ですが、先日ちょっとした衝撃でまたしても故障。
電池カバーのストッパーは折れるし、レンズユニットの動きは
おかしくなるわで、瀕死の重症となってしまいました。

泣くに泣けないので自分で修理に挑戦!!
電池カバーのストッパー折れは以前も直した経験があり、
0.4mmの燐青銅板を埋め込んで何とかクリア。
レンズユニットの不具合は初挑戦なので慎重にかつ大胆に!!

まずはあちこちのネジを外してレンズユニットを取りだしました。
ケーブルを切らないように慎重にです。
取り出すときにプラスチックのかけらがコロンとでてきました。
故障の原因はこれだ!! Y(^;^)Y
後はこのかけらがどこに付いていた物かを探し当てるだけ。
ルーペで探す事5分、折れた個所が分りました。

ズームレンズの駆動部分から伸びていた、ファインダーの
ズーム用カムを動かすピンでした。
色々考えた末、下の図のように修理しました。




仮接続して電源を入れ、動きのスムーズな事を確認し組立です。
各部品を元通りネジで組み付け、コネクターを再接続します。
最後にカバーをかぶせ、カバーのネジを締めて修理完了。
アレ・・・?ネジが一本余ってしまった。

10本以上ものネジを外したものですから、どこか付け忘れたようです。
でも、もう一度分解する気にはとてもなりません。
電池を入れて動作確認をした所異常なし。
余ったネジは別に取っておいて・・・・ま、いいか。(^;^);

それにしても最近のデジカメは良く壊れます。
壊れた個所を見てなるほど納得。
「これは壊れるわな、ヒューズみたいなもんやな・・・・」
と元設計屋さんはつぶやくのでした。

戻る


第十四話      スイスのロビンソン

 

スイスのロビンソンの思い出

昨年の暮れに、ふっと思い出したことがありました。
小学生5年生から6年生にかけて何十回となく読んだ本のことです。
その本がタイトルの「スイスのロビンソン」でした。

小学校の図書館で借りたのですが、貸し出しカードに私の名前だけが並び、
数枚更新した記憶があります。
中学生になって近くの映画館で「スイスのロビンソン」の上映がありました。
早速見に行ったのは言うまでもありません。
でも本の内容とずいぶん違っていたのでがっかりしたものです。

で、昨年の暮れに何とか本が入手できないか、インターネットで探して見ました。
世の中便利になったもので、数件の入手可能情報がありました。
少年少女世界文学全集のスイスのロビンソンです。
小学生の頃読んだのも少年少女世界文学全集でしたが、ちょっと違うようです。
また、ビデオと絵本もあったのでこれも思わず注文してしまいました。

配達された本を早速読んでみました。
数十年ぶりの内容に時間が経つのも忘れ、一気に読んでしまいました。
ビデオも見ましたが、やっぱり本のほうが想像を膨らませられる分楽しめます。
南海の孤島に場違いな生態系を当てはめている矛盾もありますが、
何度読んでも好奇心をかきたてられます。

この本のおかげで私の過去があり現在が、また将来も・・・
と心の中で思う「のむさん」でした。

戻る


第十五話      パソコン修理


デスクトップパソコンが壊れました。
先週あたりから立ち上げ時にこける現象が発生していました。
何回かリセットすると正常に立ち上がり、使用中は何の異常もありません。
それが今日は機嫌が悪く、何度リセットしても起動途中でこけてしまいます。

そこで電源系統の故障と予想を付け、パソコンの蓋を開けてみました。
電源からは別に焦げた臭いもしません。
でもマザーボードを良く見ると、電解コンデンサーが異常です。
破裂防止の切込み部分が膨れ、液漏れしているものがいっぱいありました。
1000μの6.3Vが10個、3300μの6.3Vが2個の合計12個。
異常の無いものもあり、急激な変化でもなさそうなので多分、熱による経時劣化が原因。
コンデンサーの容量抜けで電源ラインにノイズが乗り、起動時にこける様になったのでしょう。
そこは技術屋ののむさん、だめもとで修理に挑戦!!

さっそくマルツ電波へ走りコンデンサーを購入、1260円也。
ケースからマザーボードを引っ張り出し、半田ごてで基板から電解コンデンサーをはずします。
でも、スルホール基盤のため穴が塞がったままで、新しいコンデンサーの足が通せません。
そこで一考、スルホールの半田に0.7mmのドリルで穴を明け、コンデンサーの足を通しました。
これでバッチリ・・・うまく行きました。

半田付けに異常が無いことを確認、マザーボードをケースに戻し結線しました。
恐る恐るスイッチON・・・・・。

すんなりと起動、やったー、やったー、やったーマン。
と言うわけでパソコンの入れ替えは無し。
皆さんも一度パソコンの蓋を開け、コンデンサーを確認して見てはいかがですか?
コンデンサーに異常があっても、正常に動いているなら良いんですがね。
でもその場合は、もうそろそろって思ったほうが良いかも・・・。

戻る


第十六話      秋の蛍・・・土蛍


ある日ある時、もうずいぶん昔のこと。たぶん私が幼稚園児だった頃の事です。
私の実家は農家で、その頃は「晩生」と言う種類の稲作をしていて10月ごろが刈入れでした。
夕方薄暗くなる頃田んぼから上がり、庭先の畑を見るとそこに蛍の光があったのです。
でも蛍よりも暗くって、瞬きません。
畑は昼に父親がスコップで耕したばかりでした。
蛍は甲虫でお尻が光り、6-7月頃に見られるという知識はすでに持ち合わせていたように思います。
でも、そんな最新知識を吹っ飛ばす出来事でした。
何が光っているんだろう・・・光っている所の土をほじくっても甲虫らしき虫はいませんでした。
暗くって良く見えませんでしたが、ミミズのような虫のお尻が光っていたような・・・。
父に聞いたら・・・土蛍・・・って答えが返って来たような記憶があります。
でも今はもういないだろうな・・・バカ貝がいなくなり、ゲンゴロウがいなくなり、ザリガニがいなくなったように。
でも畑の土の中で、蛍のように光っていたのはいったい何だったんでしょうね。

戻る